Day 0
2014年10月21日
名古屋を出て東京へ
インド・ネパールの聖地を巡る聖地の旅、に出る前に、名古屋から東京に向かう高速バスで、渋滞につかまっていた。
通常なら6時間ほどのルートだが、高速道路のリフレッシュ工事で愛知県をなかなか抜け出せない。
「よう、インド行かねえ?」と、友人のヒロムさんからメッセージが入ったのはこの旅の2週間ほど前の夜だった。
「いいっすね」と返事を返したものの、インドに行くというのが本気なのか、冗談なのかまだ確証がなかった。だいたいこの人は、東京に住んでいるのに、今からラーメン行きましょうかとかふざけたメッセージをしばしば送ってくるのだ。
しかし、メッセージをやりとりを続けていると、どうやら今回は本気らしい。
仕事の区切りがついて時間ができたので、プライベートでどこか旅行に行こうと思い、私が以前からインドに行きたいと言っていたのを覚えていて声をかけてくれたのだ。
「一人でもいいけど、宿とかシェアできたほうがいいと思って」
私は以前から、インドに行きたいとは思っていたが、なかなか一人で行くのは自信がないし、パック旅行はお手軽だけど高いし自由が利かないし…と気持ちがくすぶっていたところだったので、このチャンスをのがしてはまたいつ行けるかわからない。誘いには乗るべし、と、その夜のうちに決意した。
ヒロム氏は、主に自然や動物をあつかったTV番組の制作をしているフリーのディレクターなので、ヒマラヤの山々の空撮に行ったり鳥や動物を撮るためにロケに行ったりと、ハードな海外旅行には慣れている、はずである。
個人で旅行するのと仕事で海外に行くのとは多少事情が違うだろうが、私の海外経験といえば、過去に韓国に2回、アメリカに1回の計3回、それも仕事でほかのみなさんと一緒に行ったことしかないのでよほど頼りになる。せいぜい足手まといにならないようにしなければ。
そして、その日から済ませるべき仕事をどうにか片付けにかかったり、インドのビザを申請したり安い航空券をしらべたり、ざっくりとした旅程を計画したり、あわただしく歯車は動き出した。
出発前に決めていたのはこんなところ。
・飛行機でネパールに行って、陸路インドに入り、インドを巡ってまた陸路ネパールへ戻り、帰国。
・仏教四大聖地である、ルンビニ・ブッダガヤ・サールナート・クシナガラに行く。このうちルンビニはネパール領内で、あとはインド。それぞれ釈迦が生まれた地(ルンビニ)、悟りを開いた地(ブッダガヤ)、はじめて教えを説いた地(サールナート)、入滅した地(クシナガラ)である。
・チトワン国立自然公園(ネパール内)に行く
・ダージリンからヒマラヤのカンチェンジュンガをながめる
以上。
はじめは1週間から10日のつもりだったが、計画するうちに日にちが足りないということで16日間の予定になった。往復の移動があるので、実質2週間ほどの旅となる。
また、せっかくなので、仏師の巡る聖地の旅の映像を記録しよう、ということになった。
そして、そのヒロムさんと合流するために、出国の前日、東京に向かっているわけだが、このバスがなかなか進んでくれない。事前によく調べていれば、新東名高速のルートのバスにするなり、電車にするなり(節約のため、新幹線という選択肢はない)できたはずなのだが…まあこれも、これからのハードな移動の予行演習だと思い、気楽に構えることにした。
幸い、バスの2階席の先頭で、席に電源もついてるし居心地も悪くない。富士のあたりで急に暗雲がたちこめ、まだ17時前なのに外が夜のような暗さになり、旅立ちにあたってなんとも不穏な天候たが、、気にすまい。
結局2時間以上遅れて、夜8時半ごろ、バスは東京に着いた。
新宿の居酒屋で東京の友人たちに別れの夕食会をひらいてもらい、東京で食事すると高いなあ、とひそかに財布にダメージをうけつつ解散。
ヒロムさんちで行き先の地図を確認したり、パッキングをしたりするうちに、ほとんど睡眠時間もなく成田への出発時間が迫っていた。
DAY1
2014年10月22日
出国~カトマンズ到着
成田10時台発の便なので、都内からだとけっこう早くに出発しなければならない。成田、遠いよ。
雨のそぼ降る中、セブンイレブンで訪れる予定の街の地図を何枚かプリントアウトし、東京駅八重洲口で成田空港行きのバスのバス停をさがす。雨が本降りになってくる中、ようやくバス停を見つけて乗車。
1000円也で東京駅から成田まで連れて行ってくれる。
ネパールのカトマンズまでは直行便がないので、中国やマレーシアなどで乗り継ぐのである。 われわれの乗るのはマレーシア航空クアラルンプール行き。マレーシア航空のカウンターにはチェックインを待つ長蛇の列ができていたので、ひとりが待つ間にひとりが両替にいったり、予約しておいたインドで使うWi-fiインターネット端末を受け取りに行ったりなど用事をすませる。
早めに来ておいてよかった。
あと、今回の反省を踏まえて。旅先で使うお金をちょっと多めに米ドルに両替して持っておくのがおススメ。インドやネパールでは日本円が町中で両替できないところが多くて、ヒロムさんの持っていた米ドルに助けられたことが何度もあったので。
飛行機搭乗。しばしさよなら日本。
機内食はベジタリアン食をリクエストしていなかったのだけど、予備があったのか事情を言ったら出してもらえた。搭乗24時間前までに航空会社に連絡しておかなければいけなかったらしい。
クアラルンプールのきれいな空港でのりつぎ。
3時間ほどなのでカフェですごして、早めに搭乗ゲートに行ったくらいで時間をもてあますこともなかった。クアラルンプールは空港内に無料で使えるWi-fiインターネット回線が整備されていた。お店の中とかだと電波が届かないところもあるけど。
そして、このころ、われわれは一抹の、結構シビアな不安をかかえていた。
ネパール初日は、ヒロムさんの友人の鳥類学者、ラジェンドラさんのお宅でゲストルームに泊めていただく予定だったのだが、前もって連絡したときに到着予定を1日間違えて伝えてしまっていたのだ。
出発前に訂正のメールを送ったのだがはたしてそれがちゃんと伝わっているのか…まだ、明日の到着だと思われているかもしれない。
われわれに今夜休む部屋はあるのか?
先方の用意ができていなかったり、連絡が取れなかった場合、カトマンズ着は夜遅くの予定なので、着いてからタクシーをつかまえ、あてなく宿をさがすというのもなかなかしょっぱなからスリリングである。最悪はいきなり空港で夜明かしか?
不安をかかえたまま、クアラルンプール発カトマンズ行きの飛行機に乗り込む。こんどはここまでのってきた大型旅客機ではなく、200人ほど定員であろうか、ぐっと小さい中型機。
残念ながらこちらの便はベジタリアン食は品切れ。はい。ごめんなさい。つぎはちゃんとあらかじめリクエストいれるようにします。
4時間ほどのフライトののち、飛行機はネパールの トリブバン国際空港に降り立った。(トリブバンというのはカトマンズ中心部から少し離れた国際空港の名前。東京にたいして成田、みたいな感じ。)
空港に着いた印象は、暗い。照明が少ない。飛行機の搭乗口から空港の建物内に入るブリッジはなく、飛行機からタラップを降りて、バスでターミナルに移動するようになっている。こぢんまりして、空港というより大きな鉄道の駅のような感じ。
ネパールでは空港でアライバル(入国時)ビザを申請する。再びネパールから出国するまでの15日間、マルチプル(複数回出入り可能)で申請。万一出国が延びても追加料金を払うだけでいいらしい。ビザ申請用の写真を用意していなかったし、写真を撮ってもらうブースも閉まっていたが、カウンターの係員に尋ねたところ、書類申請ではなく、キオスク端末(自分で操作するタッチパネルのパソコン)でビザ申請すれば写真はいらないという。
キオスク端末に情報を入力する。ネパールでの滞在先などの入力項目もあったが、「まだわからんよ、、」などと思いつつ、カトマンズ、ラジェンドラ氏宅、などと適当に記入。写真を貼り付けるかわりに、キオスク端末に接続されているロジクールのWEBカメラ(私ももってる1000円くらいで買えるやつだ!)を自分に向けて撮影する。いかにもイージーだ。こんなんでいいのかなと思い再びカウンターに行く。
ネパールのいわゆる茶人帽みたいなのをかぶった係員が書類のチェックをする。緊張して待つこと数分、無事通してもらえた。ビザの代金は25ドルだったか。
ビザ手続きをしたのが空港の建物の2階。そこから1階に下って預け荷物を引き取りに。ビザ申請のところでさっそくヒロムさんとはぐれていたが、荷物がまだ出てこなかったようで、ここで追いつくことができた。しばし待ってようやくコンベアーをながれてきた荷物をピックアップ。
このまま出られるのかと思ったら、出口で係員に荷物のタグと、航空券と一緒に渡された荷物預け証を照合チェックされる。しっかりしてるのね。
これでようやくネパール入国!
しかしこの時点でまだ、泊めていただく予定の鳥類学者ラジェンドラさんからとは連絡とれず。ああ、夜のトリブバン。
空港の建物を出ると、ずらっとお迎えを待つ人々、客引きのタクシー、暗い中何十人という人々がひしめいている。
まだなれぬ自分には少し怖いような景色だ。「タクシーのらないか」「どこにいくんだ?」あちこちから声をかけられる。
とりあえず空港の待合室に入っておちつくことにする。
ヒロムさんが以前ネパールで取材の仕事をしたときに現地コーディネーターをつとめた、ネパール在住日本人のタケシさんにも連絡して、ラジェンドラさんに連絡してもらった、直接電話したりでどうにかラジェンドラさんと連絡がつき、とりあえずタクシーでカトマンズの中心地、タメルに向かう。
夜走るカトマンズ。でこぼこした道、路上にはたくさんの野良犬。もう日本とはちがう世界である。ディワリという新年を迎えるお祭りが近いので、建物は電飾が下げられていたり、花飾りや旗かざりなどもあちこちに見られた。
数十分後、タクシーを降りたタメルの路上で再び電話連絡。ラジェンドラさんの息子さんが迎えに来てくれることになった。場所はタメルのなかの、チャトラパティという地区。少しの距離だが再びタクシー。
10分ほどでチャトラパティ着。もういいかげんに夜遅くなのに、ラジェンドラさんの息子さんが笑顔で出迎えてくれた。数分歩いたところにあるお宅に案内される。ゲストルームと伺っていたので、家の中の一部屋かと思っていたが、別棟のアパートのような建物の一室に案内された。
リビングダイニングとベッドルームがある、われわれにはもったいないような部屋。結局全行程通じて一番贅沢な宿泊場所はこのお部屋だった。
もう夜遅いのでこの日はおやすみなさい。